150131 sansaku rogo T.jpg散策しているような日常のなかで、素晴らしいものが見つけられたらうれしい。
そんなことを考えながらブログを書いています。

2009年12月21日

ファッカ油田の占拠

091219 yusei.jpgイランの武装勢力が国境沿いのファッカ油田を占拠する事件がありました。

ここのところ、イランはイラクへ民生支援(電力や水などを供給支援している)していることもあって、関係は改善されていると思っていました。先日、このニュースを見て驚いた。
091219 amutra.jpgマイサン州にあるファッカ油田はイラクの南東部、バスラの北に位置しています。
18日、イラク政府がイラン軍が国境を侵し占拠したと非難。対してイラン政府は同油田は「イランの領土」だから越境ではないと主張。
双方、兵を増強し緊張が高まっているらしい。
ちょっと、嫌な感じがしたのですが、20日、イラン側が撤退の気配との報道を目にし、少しホッとしました。


ながれとしては、こういうことらしいです。
イラクは外国の企業と提携して油田開発を促進することを決め、11月には英国と中国の企業と南部のルメイラ油田開発の契約をした。今後も外国企業と同種の事業を進める方針。イラクでは来年1月に総選挙が予定されていて、結果によっては動きが加速するかもしれない。
イランとイラクが双方とも領有権を主張している地域があり、ファッカ油田も含め5つの油田がある。そこでは以前から局地的な摩擦がたびたび起きている。
イランはこの地域のイラクによる開発拡大を懸念していて、特にイラン軍部はイラクの一連の動きに不満があった。
で、18日にイラク政府がイラン武装勢力がファッカ油田を占拠したと発表、非難。駐バクダット・イラン大使を呼び即時撤退を要求。
イランは占拠を否定。その後、占拠の事実を認めたが、そもそもあの地域はイランの領土だと反論。
イランの外相とイラクの外相が19日夜に電話会談。
20日、武装勢力が撤退の動きを見せる。
イラン・イラク戦争の原因のひとつであったシャトル・アラブ川も含め2国間で国境を確定する動きもあったが、今回の動きとの関係は分からない。


イラン・イラク戦争(第一次湾岸戦争、1980〜1988)も領土、領海をめぐって行った戦争でした。
サダム・フセインが独裁体制を確立したイラクは、軍を展開しイランを急襲、爆撃。更にイラク地上軍が越境、イラン国内に侵攻したことから始まりました。
当時、イランはイスラム革命直後で国内体制が不安定だったこと、イスラム政権の登場に危機感を持ったアメリカ、ソ連、中国などがイラクを支援したことから、イランは苦戦を強いられました。
イランの反攻、イスラエルの動向などもからみ、米国や国連の介入で沈静化、停戦に持ち込まれます。
戦死者は100万人推定され、多くの犠牲者を出してしまった。

去年のイラン旅行で、あるところの墓地に行ったとき、「ここはイラン・イラク戦争で戦死した人たちの墓地です」と説明を受けたことがあります。当然のことながら20年経った今も傷は残っているようでした。

今回の摩擦は鎮静化に向かっているとのことですので、良かった。




posted by MOTO at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言・2009 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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