
この作品は、1941年に発覚した『ゾルゲ事件』を題材にしています。
ゾルゲはドイツ人新聞記者としての表の顔を持つ一方で、ソビエト連邦のスパイとして活発に諜報活動していた人物。共産主義が全世界に広げる夢を持ちながら、スターリンの独裁政権に協力していた。
この『ゾルゲ事件』のもう一人の首謀者、尾崎秀実(ほつみ)は朝日新聞の幹部でした。マルクス主義の信望者であった尾崎は、アジア圏の安定を共産主義革命を基幹とした構想の実現で得ようとしていた。尾崎は共産主義者としてゾルゲに協力し、独裁者スターリンへ情報を提供し続けた。
木下順二が「オットーと呼ばれる日本人」を発表したのは1962年、同年にこの作品が初演されました。
当時は、まだ、マルクス主義への(正確に言うと社会主義体制への)期待を持つ人が少なからず日本にいた時代。スターリンへの協力活動を、純粋に祖国が亡国への道を歩むのを防ぐための活動だったと解釈したい人がいたのでしょう。
この作品を見ると、木下の実存主義的思考も垣間見ることが出来ます。基本的に相容れない共産主義と実存主義が交錯して見えてしまったからか、このお芝居に違和感というか心地悪さを感じました。どうも、私には腑に落ちない。
ハッキリ言ってしまいますが、共産主義にも、実存主義にも、明るい未来はありません。万が一、この作品を見て錯覚してしまった若い人がいたなら、歴史を冷静に顧みることをお勧めします。

もちろん、尾崎らを人間的な視点から見ることも興味深いと思います。当時、書かれた物を見ると確かに惹かれるものがあるでしょう。
このお芝居をそういう視点から見るのは、意味があるのかもしれない。
前置きが長くなってしまいましたw。
感想は、長かったですww。
上演時間は3時間40分(休憩2回)。私が観た日は終演後にシアタートークが1時間ありましたので、会場を出たのは開演(午後2時)から5時間後の7時でしたwww。・・・疲れた。
疲れた原因は、演出上の関係なのか、登場人物に品が感じられず(台詞回しから立ち居振る舞いまで下品でした)イライラしたこと。
尾崎は近衛文麿政権のブレーンで、社会的に重要な地位にいた人物。そして、行っていた諜報活動を家族にでさえ秘匿し、自らの使命に自信と誇りを持っていたはずです。ここで演じられた人物像には違和感がありました。
会場に行く前は、なぜこの時期に「オットーと呼ばれる日本人」を上演するのかを感じてこようと思ったのですが・・・・・・その意味が分かりませんでした。
主催者の意図が高尚過ぎるのか、私が不明すぎるのか。
う〜〜ん、とにかく、私にはよく分かりませんでした。
「オットーと呼ばれる日本人」作 木下順二
演 出 鵜山仁
出 演
ジョンスンと呼ばれるドイツ人
・・・・・・・ グレッグ・デール
宋夫人と呼ばれるアメリカ人
・・・・・・・ ジュリー・ドレフュス
フリッツという名のドイツ人
・・・・・・・ マイケル・ネイシュタット
王 ・・・・・・・・ 北川響
鄭 ・・・・・・・・ 吉田敬一
林 ・・・・・・・・ 永島敏行
青年 ・・・・・・・ 石橋徹郎
日野 ・・・・・・・ 古河耕史
オットーと呼ばれる日本人
・・・・・・・ 吉田栄作
その妻 ・・・・・・ 紺野美沙子
瀬川 ・・・・・・・ 石田圭祐
その妻 ・・・・・・ 那須佐代子
ジョーと呼ばれる日本人
・・・・・・・ 松田洋治
南田のおばちゃん
・・・・・・・ 田中利花
ゾフィー ・・・・・ 原千晶
検事 ・・・・・・・ 清水明彦
弁護士 ・・・・・・ 鈴木瑞穂
会 場 新国立劇場 中劇場 (2008年5月27日〜6月8日)