150131 sansaku rogo T.jpg散策しているような日常のなかで、素晴らしいものが見つけられたらうれしい。
そんなことを考えながらブログを書いています。

2015年09月01日

東京五輪エンブレム白紙撤回

2020年東京オリンピックのエンブレムがベルギーのThéâtre de Liège(リエージュ劇場)のロゴに似ていると指摘され、デザイナーから告訴された問題で、このエンブレムの使用を取りやめることを発表した、とのことです。

東京五輪エンブレム白紙撤回 佐野氏作品、批判高まり
2020年東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会は1日、ベルギーの劇場ロゴに似ているとの指摘を受けるなど批判が高まっていた佐野研二郎氏(43)デザインの大会エンブレムを白紙撤回し、新エンブレムを再公募を含めて選考し直すことを決めた。新国立競技場(東京都新宿区)の建設計画に続き、大会のシンボルが相次いで見直される前代未聞の事態となった。既にエンブレムを使用しているスポンサー企業などへの影響も懸念され、組織委の責任が問われそうだ。
会見した武藤敏郎事務総長によると、同日午前に佐野氏、審査委員代表を務めた永井一正氏と協議し、佐野氏から撤回の申し出があった。
2015.9.1 共同通信
他のニュースでは、佐野さんからの撤回ではなく、組織委員会の決定で使用中止とされています。どちらにしても、あのエンブレムは使わないということですね。

おさらいとしては、

150724 tokyo olympic emblem.jpg
 ←これが佐野研二郎さんのオリンピック・エンブレム



150729 logo Theatre de Liege.jpg
 ←こちらがThéâtre de Liège(リエージュ劇場)のロゴ



報道によると、佐野さんのエンブレムを選んだ審査委員お方々、大会組織委員会、プロのデザイナーの人たちは、全く違うものに見えるそうです。
私の目には、そっくりに見えます。多分、私の目に問題があるんでしょうねww。

「エンブレムはベルギーのマークとは異なるものだが、使い続けることに国民の理解が得られない」と中止した理由を説明したそうですが、苦しい言い訳にしか聞こえません。

あと、原案が東京で開催された「ヤン・チヒョルト展」のポスターに類似していること、組織委員会に提出されたエンブレムの活用イメージ画像にインターネット個人サイトにあった画像を無断で流用したこと、なども問題になったことも影響があったようです。
佐野さんも、組織委員会も、杜撰だなぁ・・・・・・。

150726 弔旗 .jpg

以前にも書きましたが、弔旗に見えたりと好ましいデザインだと思えなかったので、変更には大賛成です。
 →「2020東京オリンピックのエンブレム なんだか・・・・・・」
 →「パクリ??? オリンピックのエンブレム」


新たなエンブレムを再公募するとのことです。
今度こそ良いものを選んで下さいね。







にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ




posted by MOTO at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言・2015 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月14日

戦後70年談話

出す意味があるのか? といわれた戦後70年の『内閣総理大臣談話』。
私は出さなくても良いと思っていたのですが、出すというのなら意味のあるものにして欲しいと思った次第。
閣議決定され、発表されました。

結論としては悪くなかったのではないかと思います。
他国への配慮がうかがい知れますが、日本人に向けた部分は良かったと思います。
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というところは、そのとおりだと。


自分用のメモですが、全文を貼り付けておきます。


内閣総理大臣談話     [閣議決定]

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

そして七十年前。日本は、敗戦しました。

戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

平成二十七年八月十四日       内閣総理大臣  安倍 晋三



英文もあったので、それも貼っておきますね。→ 英文を見る
ラベル:ニュース
posted by MOTO at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言・2015 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月29日

パクリ??? オリンピックのエンブレム

150724 tokyo olympic emblem.jpg

前のエントリー(→これです)で2020東京オリンピックのエンブレムのことを書きましたが、こんな話題もあるそうです。
『東京五輪エンブレム ベルギーの劇場のロゴと酷似』
なんのことかとくぐってみたら、ベルギーのリエージュにある劇場のロゴに似ているとのこと。

150729 logo Theatre de Liege.jpg ←これです(Théâtre de Liège のロゴ)


Théâtre de Liège(「リエージュ劇場」と訳していいのでしょうか?)のロゴですが、たしかにそっくりですねww。

リオデジャネイロ・オリンピックのロゴマークもマティスの「ダンス」のパクリだという話もありました。(→「盗作かなぁ??」
多分、これと同じく、単なる偶然なのでしょう。
まあ、ロゴマークは世界にそれこそ多数ありますし、それをチェックしろというのも難しいのかもしれません。
でも、多くの人が集まる劇場のロゴだし、どうかな・・・・・・。国費がどの位使われているか分からないけど、大きな大会です、厳正に粛々と進めて欲しいものです。

だからどうしたということではありませんけど、こういう話もあるということで書かせて頂きましたww。







にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ


posted by MOTO at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言・2015 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月26日

2020東京オリンピックのエンブレム なんだか・・・・・・

最初に書いておきますが、新国立競技場のこと(→前のエントリー)とは違って、以下のことは異論を言いたいとか、やめて欲しいとか、そういう意味ではありませんので、よろしくです。戯言ですw。


東京オリンピックのエンブレムが発表されました。

150724 tokyo olympic emblem.jpg
「なるほど、これになるんですね」とニュースを見ていました。
ただ、生理的な部分で、微妙というか、違和感が・・・。
正直言って、『気持ち悪い』と感じてしまったわけです。
で、あるところの記事を見て、この気持ち悪さの意味合いがなにか、腑に落ちました。
“なんだか、喪章みたいだね”
というのです。

150726 弔旗 .jpg
(官房長官の記者会見で、後ろの日の丸に黒い布をあわせて弔旗になっている)

弔旗に似ていて、日本人的な感覚として気持ち悪さを覚えてしまったんですねww。

私としてはオリンピック招致のときに使ったロゴの方がピンとくるのですが、どうなのでしょうか。
150726 招致時 tokyo olympic rogo.jpg
親しみやすいデザインですよね。
それでも変更したのは、 大人の事情、金銭的?な お考えがあってのことでしょう。

前回の東京オリンピックのエンブレムは、印象に残っています。

150726 1964tokyo olympic rogo.jpg

今回のものは、後年になっても印象的なデザインとして残るのでしょうか、良い意味で。



はじめに書いたように、だからどうした、ということではなく、ただエンブレムの感想を書かせていただきました。







にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ


posted by MOTO at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言・2015 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月22日

はやぶさ2が行く『1999 JU3』の名前を募集してるそうです

こんな募集を見かけたので、載せておきます。

150722 1999JU3 イトカワ 比較画像.jpg

JAXAが 「2014年12月3日に種子島宇宙センターから打ち上げた「はやぶさ2」が目指す小惑星「1999 JU3」の名称(名前)案を募集します」 とのことです。
→「はやぶさ2」 が目指す小惑星(1999 JU3)の名称(名前)案募集について(JAXAのHP)

応募受付期間は、2015年7月22日(水)午後1時30分 〜 2015年8月31日(金)午前10時00分。
名称(名前)案には、国際天文学連合(IAU)が定めている条件(ルール)があるそうですので、詳しくはJAXAのHPなどで確認して下さいね。


興味がある方は、色々考えているんでしょうね。

私が応募するかどうかは・・・・・・内緒ですww。


打ち上げのときのことは、ここで → 「はやぶさ2 打ち上げ成功」(2014年12月03日)







にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ


posted by MOTO at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言・2015 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする